時間ドロボウ

4時間足らずの睡眠ののち飯田橋までふらふらガタゴト、

あー、なんか全部不毛な気がしてまたイヤなかんじ。

そんな考え方つまらないだけだけど。


やっとこさ愛の深層心理を読み終わったけれど面白かった。

愛なんて分析すればするほど見えなくなるから全然分かりゃしないのですし、
たぶんあたしは当分、そうゆうのは分からないんだと思ったよ。

情緒の発達が自己愛の段階で停止しているに違いないのです。

でもいいんだ、単なるナルチシズムの変形を愛だと思い込むよりは。


「男女の多くが、相対的ナルチシズムと呼ばれるもので毒されているのは事実である。かくのごとき人々は性的・感情的には他人を愛している。しかし、彼らの愛は、あくまで自己中心的な性格のもので、自己を与えるタイプの愛ではない。極端に所有欲にまつわりつかれた愛なのである。」


そんなのファッキンだ。
「真に生きる人とは、自分の生命をよろこんで犠牲にしようとするものの存在することを認める人である。同様に、愛も、自らを犠牲にする価値のあるものを認めない愛は、真の永続性あるものとなる見込みがない。」
のであれば軽々しくアイシテルなんて口にするもんか。

きっとそんなのバーさんになるまで分かるわけないのだ。

ボクたちにとって、きっと愛はリアル、人生くらいリアル。普遍の事実ではなくても自分にとっては確実なリアル。
けれど死ぬまで人生は分からない つかめない 語れない。
愛もそんなようなものだと思う のだよ 。
だからといってそれは愛を突き放してるんじゃなくて

人生を、分からないから つかめないから だからといって放棄したりはしないだろう
(人は死ぬ、どうせ死んでしまうなら死んでしまえなんて成り立たないとおっしゃったのは安吾でしたかしら、)
生きているから人生だ。分からなくてもつかめなくても生きてるかぎりずっとちょっとづつ手に入れているのだ。
そして生涯をかけて創造するものさ、
愛の場合にも、事情は同じではないだろうか!




とにかくとても楽しく読めたぜ、サンキュー、イグナス・レップ!