感情発火装置 単3電池が2個


好きなことに対しては権利と責任があって
権利を手に入れれば入れるほどそれに対する責任って大きくなっていって

そうゆうのを意識することなくただ好きだと思えるのは、幸運、いわゆるラッキーなどというんでなく、ただ、幼稚な恋心が心躍らせてるのみなのである。




なんてね。
朗々と生意気な言い方をしても可愛らしくないねー。




昔 昔 好きなものは好きなもので ただ 放っておいて 楽しめば良かった頃、
あたしは権利と義務について語るソーセキのおっさんのインディヴィジュアリズムを見せつけられて、
どーん!
と、なりやして
好きなことに限らずすべてにおいて
「権利を遂行するにあたりまず付随する義務を果たすこと」
を考えるようになりやした。


さて、まぁその当時、権利と責任とは、せいぜい

権利:責任=1:1

くれぇのもんだと思ってましたが、

案外世の中甘っちょろくなかったようでございまして

権利:責任=1:9

くれぇなんじゃないかと思うのであります。

殊にそれが好きなこと、大事なこと、ゆずれないもの、となってきますと、好きだからこそ関わり、関わっていれば権利を持つようになり、権利を持つとその9倍の速度で責任がでっかくなってってしまいやがるのでございます。なんてこったい、いやしかしこれは決して誇張ではなかろうよ。



ええ、ですからしてここで幼稚な恋心を蹴飛ばさねばなりませぬ、目の前に好きなこと据え置いてその前でウットリしていれば良かった時は終わりです、権利と膨れ上がった責任とを丸ごと抱え込むカクゴを決めてそれで元気に笑うこと、これこそスキという気持ちでございましょう。そのようなタフさのないスキをどうしてスキと言えましょう?抱え込んだ両手は痛みましょう、責任は精神をチクチクずきずき痛めるでしょう、それをもまるごと抱えてスキって叫べないならヤメちまえってこととも言えますのです。




ちなみに

ええ、ここまで語っておいてあたしはめっきりダメなのです 甘ちゃんなのです。 そうゆう自分が責任を追えてない。 幼稚な恋心的嘘っこのスキでとっておきたがる。 かっこわるい。

好きなことでなくとも責任はついて回りますから、権利やスキという気持ちと責任をすっぱり割り切り、はっせいした責任をそれ以上膨らめないように努めるのがせいぜいです。ああ、なんて卑怯者かしら。




あたしは自分が卑怯者だと知ってるからこそ、「好きなこと仕事にする」だの「やりたい仕事しかやらない」だの「夢を追う」だの薄っぺらに語る奴はファッキューと思います。ごめんね。だって責任につぶされそうになっても好きなことを好きでいるようなタフさ、堪えるだけじゃなくてちゃんと責任を抱えて飛び上がるタフさだとかを感じないのだもの。どうせ抱えきれない責任を発生させるほど権利を手にしたことも身を投じたこともないようなヌルい奴の夢想なんじゃねーかと思うのです。



ちくしょー あたしもだせーのは認めるけど そんな風に認めることも出来ないまま軽々しく好きとか言ったら信じてやるもんか キミの好きには重みがない 甘やかされたスキという気持ちをあたしに見せつけるな押し付けるな受け取ってやるもんか












ニシシはマッチをもっていて
あたしは頭に爆発物があって
ニシシが時々げらげら笑いながらそれに発火してくれて
あたしの爆発物は彼を通じて景気良く打ち上げ花火になればいいのに なぁ。



詩歌より現実を愛すことからはじめるぜ!と、安吾に投げキッスして就寝。
くるっとまわって同じ場所にたってほとんど何も変わってなくても「くるっと」がこころにのこってて同じ日常の中にちょっと違う姿勢の自分をみつける。
ふふ
今日は色即ぜねれいしょん 見た! 
まりこ誘ってくれてありがとう!