最近考えていたことシリーズ

feelしたことをありったけのvocabularyで説明しなきゃいけないときってゆうのがあってさ、
それは他でもなく自分のために説明するんだけどさ、ひどくheart breakingなことがあって心臓の4次元的奥地で心がトゲトゲのぐちゃぐちゃで暴れて神経をぐさぐさ刺激して痛みが脳髄に達して死にかける経験ってあると思うんだけどさ、
そんなとき鎮痛剤はないけれど鎮静剤として言葉があってさ、
ぐちゃぐちゃどろどろぐさぐさの感情ちゃんをどうにかこうにかするために感情ちゃんの出所や原因や生まれでた理由を、否応無しに考えるはめになってさ、
そうして人は第一次自分対戦を繰り広げるわけなんだけどさ、


そんときをきっかけにきっと君は大きく変わって、言葉が他人のためじゃなくて自分の感情ちゃんのための道具にもなりだしたと思うんだけどさ
それってとっても大事件で、そしてとっても必要で、とにかくそれがキミに降り掛かって以後キミが変わってしまったならさ
キミは言葉で感情ちゃんに向き合ってく使命を背負ったわけでさ、うん、覚悟を決めろ、キミは自分自身とそれから世界とそれから身の回りの全部と、戦争をしなきゃいけないのさ つまり 戦うはめになったのさ。


でも悲観しなくていいんだよ そりゃ最初は苦しいさもどかしいさ 笑ってる奴らと一緒に笑いながら違和感感じるさ 時には一緒に笑うことさえもままならないさ 
でもなんか違うんだよ 苦しいだけの戦争じゃないはずだ


・・・ こっから先はほんとにうまく言えないんだけど


えとね 

その 第一次自分対戦前のキミはね、プカプカ運良くちっちゃな小川に浮いてたんだよね
でもさ、小川って流れてくと、おっきな川になって、そのうち海になるよね、


そのうちにさ、キミは何も考えず浮かんでいるだけじゃ居られなくなるんだよ
ながれが激しくなればさ、溺れちゃうんだ 浮かんでるだけじゃ のまれて沈んで息ができなくなっちゃうのだ これがそう、第一次自分対戦の開始の合図だね、キミは1回溺れて沈んで息ができなくなっちゃうんだ。
そこでキミはただ溺れてるだけじゃ息ができないからさ、浮かび上がろうと必死でバタバタもがかなきゃ死んじゃうんだよ。
わかるかな、そう、戦わなきゃいけないんだ、溺れて沈んで、川底で沈んだままこそくな息の仕方を習得するという道もあるだろう、けれど僕らが求めるべきは水の上の新鮮な空気さ。これが僕の先に申し上げた身の回りの全部との戦争さ。
そうしてもがいて暴れているうちに、いつしかキミは泳ぎ方を徐々に習得してゆくだろう、すごいエネルギーを要しながらも、なんとか息継ぎが出来るようになるだろう、もうチョット自然に呼吸が出来るようになったらおめでとう、キミは随分成長したね、というわけさ。


一度も溺れず、ただ流れに浮かべるやつもわずかにいるだろう
あるいはもっと効率の良い器具を手に入れてゆうゆう泳ぎだすヤツもいるだろう。けれどそれは彼らのやり方さ、それに彼らもいつ溺れるともしれない。波は突然襲うし、器具は破損するからだ。


キミが君自身の手で、足で、体で、泳ぎを習得したとき、そうしたら、大海でもすいすい泳げるかもしれないよね。溺れても、水面を目指せるかもしれないよね。そんな泳ぎを手に入れるための戦いなんだ。うん、伝わったかな、僕も随分自分に確認しながら話してるんだけど。



泳ぎを習得するために戦うし、苦しんでもあがいてバシャバシャやって試行錯誤で体動かしたらそのぶん色々な泳ぎが手に入るだろうし、色んなところに筋肉つくし、そうゆうのの繰り返しが生きているということだと思うし、

別に誰しもそれを行なうべき!なんて宗教家じゃないから強制はおろか推奨すらする気はないけれど、


ふふ ちなみに 僕は泳げるよう頑張ってんだぜ ってこと へへん。



それは何と言ったらいいか 卑怯な渡世術でもないし、ウスッペラな自己防衛でもないし、
漠然と 「成長」 というのか いや何だかそれも物足りない。



そう まぁ 生きてる世界を 自分の身体で 泳ぐのだ。


鍛えた心の筋肉で、話せ泣け怒れ、 それから 笑う という そんなかんじ。



僕は人を傷つけてはいけないし、傷つけられてもまたいけないんだ。