基本的にハッピーじゃなきゃあー
アカン!
でも義務化したら苦痛なので
”ハッピーの方がつぇえ!”
って提唱します。
この主張のうち50%以上をしめるだいじなエッセンスは「自己実現」ということでして、
といってもそんなおカタいものでもなく
「こーしたほうが オレ かっこいいんじゃね!?」
という自分の美学と正義と嗜好を信じて叶えていくこと、
これが内部happy力のみなもとになって
内部happy力は
外部happy力よりつえぇんです。
自分の美学と正義と嗜好を信じて叶えていくこと
と言いますと、なんだかタダのわがままの極みととらえる方も居るでしょうが、そうゆう他人を悪い意味で巻き込むようなワガママといいますのは内部happy力ではなく、
内部happyを出力して外部happyに変換している作業でして、
例えば人とチョットばかし違うというところをやたらにヒケラカし、自慢話のように
「ほら、オレって変わってるじゃん?」
と話したり、
自分の功績、あるいは功績とは言えないようなただの行動、をやたらに自慢吹聴したり、
そうゆうのは他人に
「おまえすげぇじゃん」
という評価を求めた つまり「ホメられる」という外部happyを期待する行為でありましてそれはチットも内部happy力ではないのです。
内部happyは他人の評価を必要としないのです、
審判は自分なのです。
自分の中にはカッコイイ判定師さんがおりまして、彼はその名のとおりカッコイイを判定いたします。
ワタシは彼の判定を信じていますし、彼に良い評価をもらったらとても嬉しいのです。
彼から「カッコイイ」と言う評価をもらうために、ゆるゆると、たまにときどき真剣にがむしゃらに、デモ基本的にムリをせず、マイペェスで、暮らしていく
この生き様が内部happy力を生み出します。
内部happy力はけっこう地味ですが、じつはナカナカかなりつえぇ!
これはホント!
何かに溺れて必死であがいてるとき、内部happy力を考えてみる。
うまく泳げるようになる、どころか、溺れていたプールの水かさはいっきに低くなってゆく。
そしてもっとじゆうに動けるようになる。なるほど四方の壁は消えさった!
もっと広いところまで見渡して
もっと遠くまで動けるように なっちゃうんだからもーこれは すげーっすよ。