ねれぬ。

ぼくらがでっかく出来るのは絶対値であって+値でも-値でもないんじゃないかな。

強くなろうとすればするだけ弱いところもでてきてしまうし、

ダメんなってもダメんなっただけ跳ね上る幅が上がる(死なないかぎり跳ね上がるんです)。


ジツゾン主義の絶望に希望を見いだすってゆう解釈がされるのも、
でっかい絶望はそんだけ希望も持ってるからなんじゃないかな。
(なーんてヌルいこと言ったらサルトルは照れちゃって怒りだしそうだけど。)


反対側も伸びていることを自覚し、
望む側には希望をたくして誠実に着実に・副産物の反対側には覚悟をきめて
ちょっとづつ広げてゆく意外に何が成長であろうか。


自分に向かって殉教するその一歩手前の誠実さでタリキトモエを生きたいにゃあ。
その一歩の踏み方がきっと大切。その一歩の自由度が自分と、周りを、生かす一歩なのだから さ。




あ、、あとそれから最後にひと言
ぼく、セックスで気持ちよくなる生き物で良かったなぁって思うんだよ。
肉体的にだけじゃなくセーシン的に気持ち良くなれるってとてもステキにムテキじゃありませんこと?