ねったねたねたねたねた ねたのよいイエェー

よく寝た!


寝だめは出来ないと言うけれど、寝てない日々のしわ寄せはある日やってくるものなので、寝すぎた感じもなくこんこんとねむったよ。




じぶんはこれでイイんだ、て思えたら、それがセーカイだしゴールだとおもう。


「じぶんはこれでイイ」

ってゆうのは単純に自分で満足する、てゆうだけじゃなくて、例えば、他人に評価してもらってから満足できることと、他人の評価なんて関係なく達成したらヨッシャーってなることだってあるし、Aには褒められなくても良いけどBには認めたもらいたくてそれがなかったらちっとも自分の中でよしと出来ないことだってあるし、そうゆう「私が私を見る主観的確信と他人が私を見る客観的現実の溝」も含めて判断する「じぶんはこれでイイ」ってゆうこと。



あたしは基本的にウスペラな自己満足で生きてるけれど、ついでに褒められたりしたら、ヒャッホーうてなもんで嬉しくなるので、誰かの評価は心の良い栄養剤になるみたいだ。







主観的確信というのは、自分でつける点数みたいなものだ。
自分で自分にハナマルをつけられたらそれは気持ちイイけれど、それがうまく出来ないからって、他人にサンカクやバツをつけて、自分をそれなりのやつだと思って安心するのはクソ醜いにも程があるぜ。



周りを批判してバカにして見下してpaint it blackして塗り残した自分はカラッポの白丸だ。
くろで塗りつぶすのは簡単だけど、
自分を自分色に染める作業をしなきゃ、カラッポだろ。


って

ねぇ あたしは思うんだよ。

君はどう思うか知ったこっちゃないし、君がそれで良いんならそれが君のゴールだよね。

君の主観的確信の君は君にハナマルをもらっているのかな。
でもあたしの主観的確信としての君 つまり君にとっては客観的現実のひとつは 君をどうみてるのかな。
彼らの主観的確信としての君 つまり君にとっては客観的現実は 君をどうみてるのかな。


君が楽しくなったり嬉しくなったりするためには誰のハナマルがひつようなのかな




あしいさんにもらったジョナサンリッチマンをきく。
Velvet Underground Jonathan Richman