通り過ぎただけのー

大学入って、
落書きしたりうたったりギタをちょっと弾いたりしたなぁ、という記憶ばかりだけれど、とくにどれもまったくもって上達してないので、何してたんだろーというかんじ。



でも出来るはんいで100%であろうという姿勢は見付けた。トモエの基本のファイティングポーズなのだ。それがトモエのゴールだしゴールは次のスタートだ。よしよし。



もう開かねーな、と思っていても、結局フォトショップイラストレータはひらく。使えるはんいで、つかう。




生きている 生きていくことは、例えばオリジナルバンドをやることに似ている。と、おもう。オリジナルバンドなんてやったことないけど。好きな音楽をたくさん吸収消化して、自分のをつくる。
私の場合はニシシとの対話やニシシを描くことが、生きていくこと 生きていることの一部かもしれない。好きな本や思想や映画のせりふやイロイロたくさん吸収消化して、自分のをつくる。まだまだだけど。
オリジナルをやるにあたって、コピーをすることもとても重要だったり、する。
けどコピーはゴールじゃなくて、コピーは食べることだから、。食べ物は、消化吸収して、自分の骨や血や肉になって、元気になって、活動になる。ウンコを出すために食べるんじゃなくて、肉と骨と血と活動と元気のために食べる。


宗教も、ただ純粋に盲目的に信じたら、コピーなんだとおもう。
そこを通過して、どうオリジナルが構築できるのか、ということだとおもう。






人生の、スタジオミュージシャンには、ならない、なれない。

器用にそつなく、あたえられた楽譜を、奏でられないよ、ヘタクソだもん。バカだもん。



ヘタクソでもオリジナルを叫ぶ 


別に超絶テクなんて身につけようとおもってないんだ。



次の瞬間に出したいオリジナルの音のために今出来ることにいっこいっこやるしか、出来ないよ。


さぼったり 必死になったり  そうゆう気まぐれの気分も含めてオリジナルを続けるよ。

あたしはそっち側の人間らしいからさ。