トモエがトモエであること、それを認めて評価してくれるヒトがいるということが、何よりも嬉しい。
興味持って見てくれるのも嬉しい。
今日はサイフォンでいれたパーフェクトな珈琲と、飛び切りラブリーなケーキを食べたけど、そんなの棒高跳びで高らかに飛び越えちゃうくらい、嬉しい。
今日あの子が
トモエはトモエを頑張って続けてくれよ、だか
そんなようなことをゆって
「でも私、自分からどんどん発信するのは苦手なんだ」
と答えたら
「こっちがちゃんと受信するよ」
とゆうことを言って
(正確な台詞を覚えてないので良いように解釈してルンルンしてるだけかもしれないが)
兎に角嬉しかった。
別にゲイジュツカとかアーチストとか、ならなくても、 どんな方法で飯を喰おうと、
とにかく私はトモエなので、「トモエである」とゆうことが死ぬまでのトモエであるから、うん、なんだっけ、えっと、そゆことを忘れず大事に生きたいのであります。
誰にもサブスティチュートできるもんか。
卒業は昔ほど寂しくなくなった、なんか、簡単に繋がってられるような気がしてしまう。
ツイッタとかそうゆうののせいかな、
なんだか、上に書いたみたいに、私もきっと、気になるヒト・興味あるヒトのことはたびたび思い出すと思うんだ。自分からそのヒトの近況とかを知りたくなると思うんだ。そしたら、連絡が取れるんだ。
思い出すヒトが居ること、連絡が取れること、
それはむしろ寂しいの逆だなあ、と思う。
そうゆう風にcareする人がいること
そうゆう風にcareしてくれる人がいること
それは
it's all too much!
ではなかろうか。
よし!!4月から頑張ろうね。 応援してる気にかけてる考えてるよ。
私も頑張るからね。