社会人になってイソガシーとはいえ、まいにちのあらかた決まった活動に拘束されているというだけなので、イソガシーとはなんか違う。毎日が毎日すぎて、のうみそが働かなくなってってるなぁと 思う。大学生んときのほうが脳ミソこねくりまわしていたよ。
頭ん中のぐっしゃぐしゃは、毎日の決まった活動で使うあたまのうしろ側に隠されて、いっこうに具体的な形となって俺を責め立ててくれないので、なんとなくこぼれる陰湿な雰囲気がぼやぼやの憂鬱になるばかり、 そうゆう憂鬱の雰囲気だけにヘナヘナする放置プレイはきらいだから、いざ さぁ その憂鬱の輪郭たどって形を与えてもっとよく考えてやろうやと思い立つも いっこうにぐにゃぐにゃのまま なんだこれ な 具合なのである。
俺 あたま わるくないか?
感情は色だけ着いたぐにゃぐにゃのスライムだから、 俺は頭でそいつに容器を作ってやって、 形のないそいつをむりやりある状態に押し込めて そいつがいったい俺の何から何のために生じて 俺はそいつとどう折り合いを付けてゆかねばならんのか じっくり固定したそいつと向き合わねばならんわけだが
まるでその作業がすすまねぇ。
昔のぶろぐ見てたら、すっげトッギトギな自分見っけてビビった。
とか書いちゃう俺はどこへ行ったやら。
昔はもっと可能性ばっかりでわっくわくだったのになぁ、
つまらない人間への一途をたどってるきがするの。
でもそれもたぶんじぶんのせい。
Theピーズ 底なし