人は誰しも自分ひとりのしかし実在しない恋人を持っているのだ。
僕は自分の愚かさを決して誇ろうとは思わないが、そこに僕の生命が燃焼し、そこに縋って僕がこうして生きている以上、愛惜なくして生きられぬ。
こんなに空虚な実のない生活をしていながら、それで生きているのが精いっぱいで、祈りもしたい、酔いもしたい、忘れもしたい、叫びもしたい、走りもしたい、僕には余裕がないのである。生きることが、ただ全部なのだ。
そうゆう僕にとっては、青春ということは要するに、生きることのシノニイムで、年齢もなければ、また、終わりというのもなさそうである。
青春論/坂口安吾
パンクス炸裂安吾節。
くだらないことで暇つぶししてる場合じゃないとかいうけど くだらないことに構ってるヒマしかないよ。
もうワタクシ数日で23なんだけど、なに青クセーにおいプンプンさせてんだろーと思ったが、安吾先生が「僕たぶん70ンなっても青春だわ」っつって、「だよねー」ってんで ふたりでカンパイ イエーイ 。
とかゆって先生、49歳で急逝。さよなら。
朝ンなったら散乱してたのは文庫本。 あなたはそう言えば活字でしたっけ。
俺はすこぶる元気なンだよ。
てんさいてきな思いつきをしたからね。
俺は自分の可能性に、こんどは自分で責任を持つ。
散々肯定しやがったあいつに復讐するには、俺も散々自分を肯定して実行するしかねーじゃないか。
飛んでやる飛んでやる。
「そうだ、われわれが生きることを愛するのは、生きることに慣れたからではない。むしろ愛することに慣れたからだ。
人生を愛しているこのわたしの見るところでは、やはり蝶やシャボン玉、ないしはこれに似た人間たちこそ、幸福を、最もよく知るものだ。
わたしは踊ることのできる神だけを信じるだろう。
わたしがわたしの悪魔を見たとき、悪魔はきまじめで、徹底的で、深く、荘重であった。それは重力の魔であった。——かれによって一切の物は落ちる。
怒っても殺せないときは、笑えば殺すことができる。さぁ、この重力の魔を笑殺しようではないか!
わたしは歩くことを覚えた。それからわたしはひとりで歩く。わたしは飛ぶことをおぼえた。それからは、わたしは、飛ぶためにひとから突いてもらいたくなくなった。
いまこの身は軽い。いまわたしは飛ぶ。いまわたしはわたしをわたしの下に見る。
いまはひとりの神が、わたしとなって踊る思いだ!!!!!!!!!!!」