育休復帰のドラマをいまやっているためか、
女の「仕事と家庭のバランス」「家事育児の男女の貢献度」といったことに言及してるインターネットの記事が前よりさらに目につくようになってきたような。
出勤するときに子供の顔を見て後ろ髪を引かれるとか、夫がちょっと家事の手伝いしただけで「やってやったアピールする」、プンプン、とかね、そうゆうのね。
ふと思い返すと、
私は繰り返し言われる「後ろ髪を引かれる」思いっつうのを、そういえばあんまり感じてこなかった。。お迎えに行った時も、いわゆる「顔を見て疲れが吹き飛ぶ」というようなことも。
「ワーママ」関係の記事にいまいっちょ共感できないので私って冷たいのかしらん?なんて思ったけど、もうちょっと考えてみたら、思いついたことが…それは…
「おい!ワーママ!!
道楽や個人的キャリアのために働いてんじゃねぇだろな…!?」
もちろん、100パーセントそれだけのために働いてるなんてことないとは思うけど、なんだか私は「働くママ」に
ヨユウ
を感じちゃうのだ!
え?ヨユウ?働く忙しいお母さんに?
そうです。そしてそれはどんなんかっつうと
経済的なヨユウです。
つまり、
お前の亭主はそこそこ普通に稼いでんだろ?
ってことです。
で、私の場合、はっきり言って労働は完全に生活の供給源だと思ってる。
日々の生活費はもちろん、保険だったり年金だったり、税金がちゃんと差し引かれてることだったり。つまり「家庭」と「仕事」が対立するものではなく、循環するもの、まるで呼吸のような「吸って」「吐いて」のように、日々固く手を握り合いくるくると回転し続ける共同体と感じている。
んで、だからどうゆうこっちゃってことなんだけど、
「仕事も家庭のため、家庭も仕事のため」
って思ってるので、後ろ髪を引かれないんじゃないかと思うのです。
だって働かなくちゃ家庭はノーフューチャーなのよ?
みんなのフューチャーのために私は行ってくるのだよ?
そこにためらう余地なんてないんです。
働かなくっちゃどうしようもない。
その焦燥感が、きっとマジョリティの家庭では親父にはあって母親には少ない、そうゆう労働パターンから、
「ワーママ記事」が生まれるのだろうと考えたわけです。
男の方が労働に対するプレッシャーがでっかい中、家帰って手伝ったら褒めて欲しいの当たり前と思うし
女が「私が家事やって当然と思ってるでしょ?」に対して、「お前おれの収入の方が多いの当然と思ってるのでしょ?」とか「お前自分の年金だけで退職後生活できるの?」って思ってとうぜん!!!
仕事も家庭も、人生の回転のひとつのピースだからね、回転体のうちの家庭の部分を多く担う奴がいたら、そうじゃないやつは仕事を担うことに…
続く!