心頭滅却なんかしたら火が涼しいどころか死んでるだけ


「私は弱者よりも、強者を選ぶ。積極的な生き方を選ぶ。この道が実際は苦難の道なのである。なぜなら、弱者の道はわかりきっている。暗いけれども、無難で、精神の大きな格闘が不要なのだ。
 しかしながら、いかなる正理も決して万人のものではないのである。人はおのおの個性が異なり、その環境、その周囲との関係が常に独自なものなのだから。




ただ、われわれは、めいめいが、めいめいの人生を、せい一ぱいに生きること、それをもって自らだけの真実を悲しく誇り、いたわらねばならないだけだ。
 問題は、ただ一つ、みずからの真実とは何か、という基本的なことだけだろう。
 それについても、また、私は確信をもっていいうる言葉をもたない。ただ、常識、いわゆる醇風良俗なるものは真理でもなく正義でもないということで、醇風良俗によって悪徳とせられること必ずしも悪徳ではなく、醇風良俗によって罰せられるよりも、自我みずからによって罰せられることを怖るべきだ、ということだけはいい得るだろう。」


坂口安吾 "恋愛論"
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42851_34347.html






悲しむところで停止して、戦わないやつが多いぜ。

たたかう、とは、反発する、ということではない。


自分がしなやかに、強く、自分にとって正しく・清く、現状の荒波をかきわけて対応していくことを言う。


自分を変えたり 相手を変化させたり あるいはシステムや環境を変化させたり それを乱暴に横暴にエゴイスティックにではなく、自分を含めた最大幸福の実現のために センスとアビリティとモラルとをかけて、カッコ良くキメてやることを言う。


それが世の中で戦っていくということだ

血肉の争いではないのだ 欲や名誉をかけたそんなチッポケな戦いは戦いじゃないのだ 


もし戦いという言葉が語弊を招くなら別の言葉でも良い 






「ただ、われわれは、めいめいが、めいめいの人生を、せい一ぱいに生きること、それをもって自らだけの真実を悲しく誇り、いたわらねばならないだけだ。」



とかでもいい でもそれは長いから今は俺は「戦え」という。




正義のヒーロー・・・というとまた語弊があるな。
「自らの真実」のヒーローとなれ。



自我みずからによって罰せられることを怖れよ。


自我みずからによってみずからを罰することの出来るような己の芯を築けよ。そこに自らの真実があるのだろう。



心頭滅却なんてそんな無責任なこと言わないで、心頭滅却なんて無茶ぶりしないで、
出来るはんいで火を消して生きていけよ そこに種でもまいて花を咲かせよ