アイドンケアー。


大概の場合、私は怒り方が分からないので、怒りメーターが高くなっても怒鳴ったり暴力をふるったり 突然関西弁になったり ふところからドスを出したり とかゆうことを しない。 

そうゆうことをしたくなったりも しない。その場で強い怒りの感情はあんまり抱かない。「はらわた煮えくり返った」「怒髪、天を衝く」とかそうゆう言葉が辞書にない。

怒りメーターが一定の数値を超えてしまうと、なんだか混乱して眼から水がぽろぽろでてくる、というのが通常パターン。
だから泣いてると悲しんでいると思われてしまうけど、ぶち切れてるときだってあるので、分かりづらい。



どうやら私の感情工場は、脳ミソコンピュータとの接続がうまくいっておらぬようで。つうか脳ミソコンピュータの計算速度が遅いっつうのか、パンクしそうな計算を放棄して感情と運動が脳を介さない回路へつなぎ直すということができない。たとえば むかつくことが起きていて、怒りの感情がグングン生産されつつも、それに対して脳ミソコンピュータは、「私に怒るだけの正当性があるのか」「ここは怒っていいところなのか」「私が正しかったとしてここで怒りを公表したとすると利益と損害はなんだろう」といったことを、計算しはじめやがるのである。怒りの製造はそんなことおかまいなしに行なわれるのであるが、コンピュータが結論を出さないかぎり、生産された怒りの行く先が決まらない。「キレる」場合はさっさと脳がこの計算は処理不能だからもう感情を運動神経に直結させちゃうもんね、といって回路をつなぎ直しちゃうのかもしれないけれど、わたしの脳ミソは躍起になって「俺なら最高の結論をだせる」と信じ込んでるのかなかなか回路を自分から外さず、結果、脳ミソコンピュータ、炎上、スプリンクラーが発動して、あまった消火剤が眼から出てくるという 情け無い結果になるのである。 


泣くなんてだっせーえから ヤダなぁ って思っていた。



でもたまーに、ごくたまに ズズズっと怒りがかま首をもたげて、メリメリっと天井をやぶることがあって、
そうゆうときは 「おいおい何言ってるんだ」と思いつつも 口からぽろっと 鋭利な言葉がでてくるときがある



こないだ久しぶりに、ほんのちっさなヤツだけど、怒りの怪獣がノドを這い上がってきたんだ。



久しぶりの かんかくだった。



かんじょうの ゲロ。




吐き出された怪獣は、すぐに死んでしまった。私の中以外で 生きていけるわけがない。
死んだそいつを見下ろして、吐き出して殺して醜い姿を曝してしまうなら
なんで私の中で飼ってやれなかったんだろう そんなふうに思ってしまった。



生き長らえても 厄介なのに。



参ったなあ。




アイドンケアーなんて いつになったらゆえるんだろう。
くさったキリン。期限切れ。