生きて居ようと思ったから。

●太宰展に行って参りました。

えーと、おもしろかったです。ものかきって、
他のアーティストよりも、その人自身の魅力、以上に、作品の魅力、ってゆうものの面積が大きいとおもってて、
(もしかしてそう思っているの私だけで、万人に当てはまることかどうかは定かではないですが)


音楽やってるひとはその人の音楽云々以外に魅力要因がさまざま関係してくる気がするし
画家も人物像やそのひとの私生活なんかが作品と絡んで評価されたり絵そのもの以上に画家本人がレビューの対象になったり


ものかきの作品にふれるとき、
とにかく、私は、
「読む」。
作品を、「読む」。そんだけ。
このジャンルのなかでどう、とか、これは実はこういう意味で、とか、書いた人はこのときこうしていて・・・とか
作品の外側のものと合わせてその作品を楽しまない。(音楽だとそうゆうの調べちゃうんだけどね)

とにかく、よむだけ。


だからぜんぜん知らなかったんだよね、だざいさん。

文字で存在してるだけというか、
わたしのなかでは数冊読んだ文庫本程度の存在でして。
(太宰さんだけじゃなくって物書きの存在って私の中では読んだ作品の数と同等なのよね、作品がその人の存在なので。)




で、
展示には太宰さんの書いたお手紙、とか、原稿 が
ずらー

とあったわけです。



でね、お手紙のぶんしょうがね、
とっても文章の中で生きてる、
つまり私が今まで知っていた
だざいさんなのよ。




「あ、このひと、しってる」



っておもったのよ。



そしたらね、なんだかすごく愛情というのか、近づきたい・触れてみたいという、
恋心の前の興味心のようなものがどわーとあふれてきて。







私は「全部がその人」であるひとにすごく肯定意識があるんだなぁとおもった。

書いた文章や発した言葉とか一挙一動全部が
良いところも悪いところも
なんだかちゃんと、その人そのもの、な人。



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