イチゴ畑で捕まえて

strawberry fields foreverの歌詞を調べようと思ったら異様なくらい分析されていたり論議がかもされていてびびった(何年のテイクではこの単語が入ってるとか欠けてるとか歌詞カードではこう表示されているけれどジョンのメモにはこう記されているとか何とか)

皮下1センチは案外深いし筋があって半端なく痛そう。

自殺はしません。






「やりたくないことはやらない主義だ

でもヤなことをやらなくてよくなったら俺は何がしたいんだろう」


アリスのレストランって映画を見たのだけれど主人公がカコ良すぎて泣きそうでしたよ。もう。



昨日も昨日で竹原ピストルさんの歌うのをきいていたら喉の奥が痛くなっててつまりそう何か心臓からぢゅるぢゅる涙のもとらしきものがのぼってきて我慢していたのでした。

涙腺は破断した模様です、わけわかんねー 今トモエが涙を流してもそれはクソな涙だからだめだ。

自分への同情だからだめだ。





竹原さんカコ良かったなー。
ぬう。

竹原ピストル ぶろぐ↓
(ライブ音源きけます、是非)
http://livepistol.seesaa.net/


音にのせて言葉は重くなって優しくなって強くなって届くのならばそんなような歌のような絵が描けたら素敵だと思って、
超絶テクや奇妙なコード進行や美しいメロディなんかじゃなくても、ありきたりのジャカジャーンにのせただけでもすごく言葉も音もズガーンと威力を持つことだってあって
だったらぼくはドレミファソラシドすら分からなくててんで歌えやしないけれどそんなズガーンとして届く歌のような絵が描きたいと思うわけで思うのだけれどあまりにもそれは分からなくて悔しくて仕方のないのだけれど

絵って分かりづらくて 伝わりづらくて 自己満足的で
それは昔の絵画を見ても現代アートを見てもいつも思うのだけれど
色の美しさだとかテクニックだとかそうゆうのに眼が行きがちだけど作者の思いってのがあって
歌はそれをそれとなくしっかり運び、受け手がそこに着目してくれるけれど
絵はなぜかテクニックやらなんやかんやが評価されがちな気がする(専門家が見れば違うのかもしれないけれど)

何かもっとエモーショナルな何かを抱えたものを生みたい 絵に限らず ぜんぶ。

歌はとってもエモーショナルだから羨ましいのだ とても良いと思うのだ。

発信するものにエモーションを込めるべきだと思うのだ、それが作品というものだ。

エモーション込めたことが分からない伝わらないような作品はゾンビだ。作品はコドモなの。カラッポに生んじゃだめだ。



ってことをね、
昨日まりこんにカフェで話した時に言いたかったのに、トモエは頭がすぐには回らないので最高潮に支離滅裂でちっともうまくゆえなかったのでした。クヤシー!