ぼくたちが、道徳律にしたがうとき、そのルールを決めているのはぼくたち自身だ

イッツ・オンリー・ロックン・ロール

イッツ・オンリー・ロックン・ロール

イッツオンリーロケンロは、いつでもニヤニヤしちゃうよ。
Ain't Too Proud To Beg が お気に入りなのさ、

(2007年だって!皆げんきだなぁ。ほんとすごいよ、私60過ぎたらどうしてるんだろ、って思っちゃうよ)






散々嘆いているけれど、ほんとうに、腕、まだまだ剥け剥けで、泣きそう。
お薬の容器はちょっとスキ、だけどね。媚びてないどころかさ、何かをキョゼツしてるみたいな、ヘンテツもないパケージが、そそるでしょ?
ともかく、このお薬さんはいまいち効いてくれやしないので、そろそろ喧嘩売ろうかと思います。ハカクの大安売り叩き売りで、売ります喧嘩。文句言ってやります。プン。





ニシシがカントを借りてこいってうるさいので、論文発表終わったら、借りてきてあげようと思う。ただしバカなニシシは字が読めないから私が読んであげなきゃいけないのだけれど。


カントがね、
「ぼくたちは、実践理性にしたがって道徳上正しい選択ができた時だけ、自由意志を持つことになる。なぜなら、ぼくたちが、道徳律にしたがうとき、そのルールを決めているのはぼくたち自身だからだ」
っちゅうことをゆっていたのさ、


I'm FREE!!!

ってゆえるのは、どんなときなんだろう。 自由ってそんなちゃっちい快楽じゃないはずだ、もっと厳しいのに無限の可能性みたいなものだ、って、ニシシと考えていて、その話題にカントも加わってもらおうってわけ。



好き勝手するのは、自由ではなくて、自分のエゴイズムの奴隷になってしまうことなんだ。

欲や悪徳を押さえつけるために、独立と自由がいるし、欲や悪徳を押さえつけなきゃ、独立してもないし自由でもないんだ。


だからええっと・・・?




カントを加えれば、このお話をもっとぐーんと楽しいところまで持ってってくれそうだ、って、ニシシが騒ぐわけ。




そうだね、春が始まる前に、少なくとも春が始まるころには、カントも誘ってお茶会でもしようねニシシ。


私は卒研を筆頭に、いろいろ、頑張るよ。君と自分と自由意志のため!