晴れないなぁ。



「人生論」トルストイ

人生論 (角川文庫 赤 89-20)

人生論 (角川文庫 赤 89-20)


トルストイったら 半分くらい 肝心なこと語りださず  うじゃうじゃとまず思ったことを並べて 散々並べてから ようやく  話してくれたんだ。


トルストイは ひたすら自分に言い聞かせるように 語った。

おれに説教していると思って 聴いていたが

確認するように 間違わないように 自分自身納得いくように ゆっくり ゆっくり 語った。





それはヤツが見いだした完璧な答えなんじゃなくて 自分自身も奥底で感覚的には納得しきれない でもそう信じていたいヴィジョンなのだと 思った。



それはそうゆうふうにおれの心にとどいたから。
 つまり おれも、頭の深層レヴェル1までは理解しなるほど合点、というところまでは到達したけれど それより奥深く 実際の生活に適用するとか 奥底の欲求とホンネとがすんなり納得してくれるとか そうゆうとこになると ココロの真ん中には大きな疑問符なのさ。


あいかわらず生きること(ハッピーの追求)とはなんぞや おれにはわからんよ



でも おれは 個人的俺様最大幸福を ハッピーだと 根っこで思い込んでんだろな そうゆうふうに 思った。だから、ヤツのいうもっとでっかいレヴェルのハッピーがドウモ自分の真ん中の方ではしっくりしてくれないんだろう。






そうゆう個人的な幸福は、動物的自我から生まれるもので、それが人生の幸福なんだとゆう意識で思考がストップしている輩は 真の幸福なんてわかりゃしねーって トルストイは いうんだ。


動物的自我は、人間的理性の道具なんだってよ(人間的理性と対立してジャマするモンじゃなくて)。





うん 道具ってことはさぁ、例えばサ、俺の動物的自我を、ペンとしてみるよね。
トルストイは道具を鋤(すき)に例えてたけど、ペンの方がしっくりきたからペンに例えよう)


個人的幸福ってゆうのは、そのインクも使わず、ピカピカに磨きあげて いっとうきれいな状態で保存することだ。ペンをキレイな状態でとっときたいっつーのが 動物的自我なんだ。


すると ヤツのいう 真の幸福 最大多数の幸福 は  インクを使って キレイな絵や 文や とにかく何かを 他人のために書くことを言うのだよ。
するとさ、 自分のインクは他人のために消費されてしまうけれど 使ったインクによって生まれた物で、誰かが 喜んでくれるとさ それは きっと ピカピカにペンを使わず保存して満足するのと 比にならないくらいの喜びがあるんじゃないかなぁ。  ねぇ こうゆう解釈をしたんだよおれ  アンタの言いたいことはそうゆうことかいトルストイ? 「自分のいのちを惜しむものは、かえってそれを見失うだろう」って聖書のことばひっぱりだしたのはそうゆうことなんだよね?




でもどうしても分からないんだよ 

俺が渾身の力をふりしぼっても 俺のペンは俺が書いてあげたい絵や文が書けないかもしれないし
あるいは心込めてかいたもんだとしても 誰も喜んじゃくれないときだってあるじゃないか  要らないとさえいわれるよ ときには。



生きている者全員にたいして そんなふうに出来ないよ
だったら おれのピカピカにとっておいたペンを 勝手に誰か評価してくれたら良いと思うんだよ その方が楽で安心で 怖くないし 消費しないし 疲れないから




でも そうしたら どんどん見失い続けることは なんとなく 感じて 分かってるから 


まんなかのところで おれはまだ ちゅうぶらりん なんだ!










こないだ買ったヤードバーズのリトル・ゲームス。
とっても美味。もしゃもしゃ。
The Yardbirds - Goodnight Sweet Josephine (1968)