会えないは愛得ないのであります。

なんだか今日ふと思ったことは
会えない時間が愛をなんとやらという言葉だか歌だかがありますが、
あれはウソで、

あえない時間は都合のい妄想を構築するに過ぎず、
育つのは妄想、個人的見解であって、
愛ではない。会えないは愛得ないのであります。

かといって会えば愛が育つのかと申しますと、
会って育つのは現実でありまして、ともすれば幻滅にもなりかねない現実でありますから、

いづれにしても愛は育たないということになります。


では愛を育てるのにはどうしたらいいかということになりますが、

育てるなんてそんな解釈がそもそもエゴイスティックなもので

なるままにしたらよろしい、

育てようが殺そうと試みようが、勝手に育つときは育ち、終息するときはするのだと思います
それは恋であっても愛であってもそうだと思います。

そもそも恋と愛を使い分けて愛を高尚なものにしようという試みがそもそも姑息であると思う。

厳密な線引きをしようとしたところでイイワケがましくなってきて、双方なんだかウワゴトのザレゴトのようになていく始末、


久しぶりにそんな風に愛だの恋だののことを考えまして

それにしてもやっぱりそうゆうことに思考を傾けるのは、私、好きなんだワと思いました。

これが愛やら恋でしょう。
ラブ マイ あたま。
ねぇ。