きのう会社のひとが「モテたい」と言い、「モテたくないですか?」と尋ねるので、少し考えて、あぁわたし今はモテたくないのだわちっとも。と思った。

それは家庭があってモテても意味がないからとか他の男に興味がないとかではなく、

ひとつは、私は既にモテるに相当するあるいはそれ以上の優しい愛情を色々なところに感じている。モテるって自己肯定代理人の収集量が平均以上にあることだと思ってて、それに性的なアクションが絡むとより具体的に"モテてる"状態と言うのだろうけど、私はその前半部分においておおむね享受していると思ってる。つまり、みんなからそこそこポジティヴなアクションもリアクションもいただいている。周りも自分も大人になったから社会的な気遣いとしてのそうゆうのもいっぱいあるのは分かってるけど、そうゆう気遣いも優しいと感じられる。そんなわけで私は大義においてモテ欲は既に満たしている。

あとひとつ。愛は狂気なのでそれからは逃げたいという部分があり、私はモテたくはないと思う。だいたいにおいて好きになることは所有欲の暴走と妄想で、つまり愛情表現は賄賂だ。なんかそうゆう個人的欲求の押し売りを受けることをモテと言うならば、モテることはとても怖いことだ。いや、そんなムツカシイことを意識してるのではないな。私はただなんとなくめんどくさいなぁと思いそうな予感がするだけ、あとは何だろう。ここまで考えて、頭は止まってしまった。