疲れた疲れたって思ってるけど疲れてることにぜつぼうはしなくて疲れたなよしゆるめよう、となれるので私はとても平和。昔はなんでいちいちガックリしてたんだろう、弱者プレイしちゃってたんだね。

あらゆることが基本的にどうでもよくて、どうでもいいってネガティブな意味じゃなくていちいち反応し過ぎることがことごとく意味がないという悟りで世界に対していんぽだなぁと思う。でもこれば普通なんだなとしみじみする。こうやって普通は流して生きるんだなだからみんないとも簡単に呼吸してたんだな あーこんなに生きるって適当だったんだ、
よかった。


まだ私ちゃんと梯子を登れていた

過去の自分をはるか下に感じられる。でも優越感もない なんだか無に近づいている。

だからあらゆるものはどうでもよくてでも同時にクリーンでフラットな愛情がある、つまりソーシャルに生きれそうに思う。


わたし、大人がおしゃれになるには哲学するべきと思う

三千年の歴史をひもとくほどでなくて良いけれど

軽やかにじっくり(矛盾ではないつもり)自分の輪郭線と世界との境界線をなぞること


そのぐねぐねを経て、無に近づく