きょうはピクニックデー(ひさしぶりにはれたよ)
むかしのミクシーの日記が青すぎて恥ずかしいから、ミクシー上では消して、でもなんだか結局愛おしくてmacちゃんの中に保存してあったのだけれど・・・
なかなか今より全然するどくてドキッとした。
業務用レンジのマイクロ波であたしはここ1年で急速に頭がパーになったのかも。
以下2年前の日記より
あ‐が・く【▽足×掻く
[動カ五(四)]
1 手足を振り動かしてもがく。じたばたする。「水面に浮かび上がろうとアガ・く」
2 活路を見いだそうとして必死になって努力する。あくせくする。「今さらアガ・いてもしかたがない」
3 馬などが前足で地面をかく。また、そのようにして進む。
・ 「馬はアガ・いた。(馬車ノ)車輪は廻らぬままで、ノ石ころの上を引きずり出した」〈伊藤整・馬喰の果て〉
4 いたずらをして暴れ回る。ふざける。
・ 「禿(かぶろ)どもも、アガ・いたら遣手(やりて)に告げて叱らすぞ」〈浄・博多小女郎〉
活路をみいだそうとしてあくせくしているつもりが、ただふざけ回ってるだけだったりして。
な。
そうなんだよ。気持ちだけじゃダメなのさ。
やるやるゆって、ふざけるだけじゃ、ぜんぜん。
ふざけてるように見えて、結果がともなってる人が羨ましい。
きっとその人たちは、ふざけてるんじゃなくて、
楽しんで努力してる
んだろうな。
愛だよな。目標と、どりょくするじぶんへの。かっこいいな。
そう。だから、人間関係のことでもゆったけど、甘え合う愛なんて、すきじゃないんだって。
向上したいんだ。
じぶん(もちろん他人も)を甘やかすのは愛じゃないんです。妥協です。怠惰です。
愛ゆえの、自己実現。
愛という名のもとの、向上のための努力。
愛の戦士、チャレンジャー。
go go チャレンジャー。
それは孤高の旅人。
彼はチャレンジャー。
とはゆえ、そんなストイックにチャレンジャーになれないんだな、人は。だから堕落と向上をくりかえしてなんとかかんとかしてくんだ。安吾はいう、
善人は気楽なもので、父母兄弟、人間どもの空しい義理や約束の上に安眠し、社会制度というものに全身を投げかけて平然として死んで行く。
だが
堕落者は常にそこからハミだして、ただ1人曠野(こうや)を歩いて行くのである。
・・・
我々のなしうることは、ただ、すこしずつ良くなれということで、人間の堕落の限界も、じつは案外、その程度でしかあり得ない。
人間は無限に堕ちきれるほど堅牢(けんろう)な精神にめぐまれていない。何物かカラクリにたよってその落下をくいとめずにいられなくなるであろう。
そのカラクリをつくり、そのカラクリをくずし、そして人間はすすむ。堕落は制度の母胎であり、そのせつない人間の実相を我々はまず最もきびしく見つめることが必要なだけだ。
うん、あたしが思うのはね、人は何かを成そうと思い立って、ではそのために行動せねばなりますまい、ということになるでしょ、
でもぼくたち努力はいまいち好きじゃないんだ。
でも堕ちるのはもっときらいなんだ。落下をくいとめずにはいられなくなる瞬間がくる。
その瞬間に、チャレンジャーになればいいじゃない。
そのたいみんぐで。さ。
堕落がひつようってのはそうゆうことじゃないかなぁ。
しゃけが、
とぶ前には かがむ
といったけど、
それもおんなじようなことで、そうゆうことだ。 らく ろん。
さてはて、じぶんは堕ちたのかどうなのか。半端に堕ちてたらチャレンジャーに変身するたいみんぐが後押しされるばかりなんだけど。
なんだよな。
はあ。
おそれずに一回本気で拒絶してみようか。
春あたりに。
ふふん。