妄想常識によるひととひとの関係の神聖化
善悪の外部委託。個人という最後の審判、没収され!
感情や涙は本心ではない。(感情や涙は高揚に過ぎない)
ぼくたちってそんなクリアーでもビューティフルでもないけどそれだからルールがあって でもルールはクリアーでビューティフルでそれって当てはめ方が難しいくてもちろん守ることは守らなきゃだし、なんで守らなきゃって決められたのかというと、損をしてしまったり傷ついてしまったりする人が発生しないようにであって、
じゃあ何が難しいって言いたいかって、それが難しいんだけど、
あのさ、最後の審判って自分で下すものだっていうのを、みんな忘れている気がして 法律とかルールとか充実しちゃってさ、それでOKならOKというか、思考回路を委託してる気がしてさ なんかさそうだけじゃ人の行動って決めれなくてさ
あのさ 違うんだよ 自分が良ければいいとか 法は関係ないとかそうゆうんじゃなく 自分の正義感って大事だと思ってて 自分の中でこうしよう こうするべき 簡単なことから言ってみると ほらさ となりにいる人がイライラしてたらどうするとか隣の人が肉親の場合とか知らない人の場合とか マニュアル化されてないでも自分の正義や道徳律、経験値 それに加え気分とか体調とか その時々の全部がひっくるまったそん時の自分の行動って絶対あって。
それってすっごくすっごく大事なことで繊細でその時どうするってくだらないことでもけっこう神経ビビビーって使っちゃて
でもそれを外部委託してる人やっぱい多いな って
みんな右向いたら右とか
あの人がダメって言ってたからヤメとこうとか
イイって言ったからマネとこうとか
なんかそうゆうのさ。
そうじゃなくてホントは最後は結局じぶんできめるしかないしじぶんできめるのにさって。
あと、そん時の注意として、
あんまり感情を自己分析のツールにしちゃダメ。
自分の本当を探るとき 本心 なんて言ったりしてココロに近づこうとするけど
感情なんて最高キマグレ、一時的衝動 だから 本心は実はぜんぜんちっともほんとうの心なんかじゃない。